「じゃあお前やってみろよ」のダサさ
- 評論、特に批判された時にその批判された対象がいう台詞として
- 音楽関係でも、組織論でも、ブログでもたまーに見聞きする
- 言いたくなる気持ちはわかるけど、それを言っちゃあプレイヤーとしてお仕舞いだと思う
- 悔しくなって自分の非から別のところへ論点をすり替えようとしてるだけじゃないの?
- そもそも評論ってものは誰にでも与えられた権利みたいなもので、それをとやかく言うのは筋違いだし(時に批判が名誉毀損になるようなものもあるけど)、
- 批判した相手がそれをできようができまいが、自分に(批判の場合)悪いところがあるのは明らか
- 見当違いな批判だったら「じゃあお前~」みたいなことは言わないし
- 百歩譲って使う場面があるとしたら、本当に何を言ってるのか理解できず、どういうものが正解か全くわからない時には「ちょっとやってみてもらえませんか?」っていうのはアリだとは思う(結構な確率で答えてくれないし、「俺にもできないんだけどさ」とか言われるけどw)
- というか自分のできることしか評することができなかったらその分野の進歩が無くなる(or遅くなる)からそういうもんだと思って受け入れるしか無いんじゃないか
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- まぁでも批判なんてものはある程度のレベルまで言ったら誰にでもできるし、言われた本人も嫌というほど分かってるけどあがいてもできないから「じゃあお前~」みたいなこと言ってしまうんだと思う
- なので自分が批判する際は相手が言われっぱなしで終わらないように「○○だから△△すればいいんじゃない?」とアドバイスできるまで考えてから批判を表明するように気をつけている
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まとまらないけど以上。
賛同してくださる方は「じゃあお前やってみろよ」排斥運動にご協力ください。意訳→この記事広めてください
18:16 追記
id:hal9009 さんのブコメに
ああ、これ400カットだけど3日でやっといて→ムリ→やってみもしないで無理とかいうな→じゃあお前やってみろ←排除w/何が悪いかではなく形から排除しようという思想のアホさw
とありました。確かに最後の「排斥」という言葉は良くなかったです。
あと冒頭に
評論、特に批判された時にその批判された対象がいう台詞として
と書いてるので、無理な要求をしてきた場合の話ではないです。