影があることを知る
inspired by るうマニアSIDE-B - 闇と光、または不健全なアバター[Small Talk].
「出ているものがその人の100ではない」
ことを知っているのが大切だと思う。
出ている部分を100としてしまうのはあまりに短絡的だし、本質を見落とす危険が高くなる。まぁそれが絶対に悪いとは思わないけど。
その人の100を知れないことは(無邪気に知れると思っている人にとっては)悲しいことなのかもしれないし、最終的(ってなんだ?)には出ている部分で判断するしかない。
それでも私は、「出ているものがその人の100ではない」ことを前提として判断した方が、「まっとう」な在り方だと思っている。
断片化された蛇足
影を見る
出ているものがその人の100ではない。
ことを前提として、
出ていない部分を想像することは、良い気遣いにつながることもある。
しかし、それがいきすぎて「あの人はああ言っているけど、影ではこう思っているに違いない」と決めつける領域にはいると、ただの偏見になってしまう。
光のコントロール
20しか出さないようにしていても30,40くらい出ていることもある。
逆もまた然りで、100出そうとしても、80,90くらいになることもある。
「ここだけは光にあてないようにしよう」としていても、あたってしまうこともある。
自分の全てを認知できる人間はいない。
光と影
ある場所では影であっても、時と場所が変われば、光があたる。
だらだら書いたけど、見えない部分を「無いもの」としてしまうのは、あまりに寂しいことだと思うんだけど、どうすかね?