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ウラガミ

いわゆるチラ裏

知的生産マガジン『かーそる』読んだ

書評

知的生産の技術で盛り上がる雑誌『かーそる』を読んだ。

かーそる 2016年11月号

かーそる 2016年11月号

サイト:Project:かーそる – 編集長のひとりごと

▼ 情報

  • 今回が創刊号
  • 紙の本なら256ページ!
  • 799円
  • 季刊で次は春?

一気に読むようなものではないなと思いつつ勢いで買った日に読了。じっくり読み返そう。

編集長である倉下さんのフォロワーなので、存在はかなりはやい段階から知ってたと思う。執筆陣も普段読んでるブロガー陣(倉下さんが発起人だからさもありなん)で、まぁ買うよね。
正直「雑誌」から離れてたこともあって買うか迷ってたんだけど、買ってよかった。雑誌の楽しさを思い出した感触すらある。

知的生産に関する雑誌ながら創刊号の特集が「脱知的生産の技術」ってとこに倉下さんらしさを感じた。ちなみにもう1つの特集は「私と知的生産の技術」。

以下、特集ごとに思ったことなんかをつらつら。

特集1「脱知的生産の技術」

梅棹忠夫の『知的生産の技術』を改めて捉え、脱する試み。


『知的生産の技術』読んでる前提。まぁ当たり前か。

あと「知的生産の定義何回出すねん問題」が発生してる。いや、何度も書くべきことなんだけど。

他にも重複してるような部分は多かったけど、著者が違うから書き方や解釈が変わって却ってそこが面白く感じられた。この辺は好み(とバランス感覚)によるかな。人によってはしつこいかも。

「1つのメディア」というより「一人ひとりの文章をまとめたもの」っぽい印象。なんというか、アンソロジー的?

「脱知的生産の技術」と謳いながらも、近づこうとする文章が多かった。あくまで「知的生産の技術」という言葉からの脱却であって、本来的な意味での「頭をはたらかせて~」する活動はやっていこうよ、みたいな。もちろんそうじゃない人もいて、そこが幅になってた感じ。この辺はあとがきにも書いてあったけど。

脱「脱知的生産の技術」

*ひねくれ者ゆえにすぐこういうこと思いつく

おそらくこの特集読んでて、書かれた文章を「知的」に感じて敬遠する人もいると思う(「かーそる」を自ら読みにいく人にはいないかもしれない)。

「知的なものへのあこがれを再び取り戻す」というより、「そっから離れた人にも必要な技術だよね」ってことを言いたいはずなのに、結局「知的」に書いてるやんっていう。

いや、充分やさしくて現代的だとは思うんだけど、それでもまだまだハードルさげられるんじゃない?と思ったり。(自分にできるかどうかはともかくw)

自分なら?

自分の「脱知的生産の技術」はどんなものになるか。

とりあえず、

  • ツイート
  • 写真
  • メール
  • 料理
  • 提案
  • スピーチ
  • 会話
  • 贈りもの

あたりの卑近(?)な例を挙げて、

知的生産とは「出す」ことで、知的生産の技術とは「何をどのように出すか決めるためのスキル」であり、それは万人に必要なものである。

って感じ?たぶん「知的生産」という言葉を言い換える類の記事になる。でも難しい。。

なんてことを考えたりもした。

特集2「私と知的生産の技術」

執筆者それぞれの「知的生産の技術」。方法論にとどまらずツールに対する想いなども書かれている。


すごく面白かった。やっぱり私は「具体」が好きな人間なんだなと。
たぶん何度も読み返すことになる特集。

▼ 一言メモ

  • デボラさんキタ
  • Google Keepで4日間マップと似たようなことやろうと思ってたから参考にしよう
  • WorkFlowyロード時間のせいで少し離れてたんだけど、改めてガッツリ使いたくなった
  • 作業ファイルは自分なら「calm editor」になるかな
  • 生産性どうこうだけじゃなく、単純に読み物としても面白いと思う
  • 元ネタ?『私の知的生産の技術』を読み返したくなった

おそらくこの雑誌に書かれることは、多くの現代人にとって必要な情報(や、そのきっかけとなる情報)なんだけど、現時点でこれを読むのはマニアックな層だろうな。でも雑誌ってそういうもんか。

今後どんな風に広がっていくのか、次回も楽しみにしてます。

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