ウラガミ

いわゆるチラ裏

ブログと恥

ハーイ(^^)/ / 読みました。

私も記事を書かれたakari1616さんと同じように、読まれて困るようなことは書いてないんですが、それでもやはり恥ずかしいです。
その恥ずかしさは

  • ブログを書くこと自体
  • ブログを書いてることがバレること

の2方向からくるものです。今回はその「恥」について書きます。

表現することの恥ずかしさ

ブログに限らず、そもそも何かを表現するって恥ずかしいことだと思うんですよ*1。それはネット/リアル・フィクション/ノンフィクション問わず。最終的には自分の内面や考えていることを不特定多数の人間に露出するわけですから。しかもそれを得意気に、楽しそうにやってた日にゃあ目も当てられません*2。ブログなんて特に他人のフィルターを通さずに世に出すわけですから、余計恥ずかしいですよ*3

まぁでも、その「俺は今、恥ずかしいことをやっているんだ」という感覚が案外大事なんじゃないか、と最近思います*4
その感覚があるからこそ、

  • なるべくいいものを出そうとしたり
  • 「こういうことは恥ずかし過ぎて駄目だ」というハードルがうまれ、それが品につながったり
  • 吹っ切った時の破壊力が増したり

するわけで。

ペルソナをはみ出す恥ずかしさ

あとは私の性格の問題で「いろんな自分がいて、それを混ぜたくない」という理由もあります。ちょっと噛み砕くと「所属するコミュニティごとに独立したペルソナがあって、そこをはみ出すのが恥ずかしい」って感じでしょうか。
Aというコミュニティ用の自分と、Bというコミュニティ用の自分は別で、その変わり様を人に見られたくないといいますか。恋人の前だと性格が変わる人いるじゃないですか。アレの拡大版です。

複数のコミュニティをつなぐことでみえてくるものもあるとは思いますが、それは器用な人に任せたいと思います。自分は慎ましく内側で処理して楽しみます。

そんな人間なので、実生活と結びついてない内容なのに本名でブログ書いてたり、自分の表現するものと違うコミュニティの知人に対して告知してるのをみかける度に「自分と感覚が違う人ってたくさんいるんだなぁ」と思います。そういう人は見ていて恥ずかしくもありつつ、やっぱり羨ましいです。

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以上、恥ずかしがりながら書きました。

*1:それでも書いてるところに業を感じますが

*2:それでも書いてるところに業を~

*3:それでも~

*4:たしか松尾スズキさんもそんなこと言ってました。多分。