思考言語の訛りについてのアレコレ
連ツイを少し整形して貼り付ける。
- 頭で自分の言語?で練ったモノを外に整った形で出すのは難しい。その対策として、自分の思考を普遍的な言語でしようとすると今度は思考の速度が鈍化する。
- 自分の言語をある程度知ってもらうのが一番楽な手段だけど、分かってもらうには同じ相手に何度も話さないといけないのでネットには向かない。
- 考える言語はもちろん日本語なんだけど、そこには独特な文法や語彙、意味がある。
- それは長年自分の頭でチューニングしてきた結果なのですぐに切り替えることは難しい。
- 個々人が自分特有のジャーゴン的な言葉をもってそれを変換しながら話したり書いたりしてる。多分。だからサトリがいても完全に意図を読み取ることは不可能だ。
ーーー
- 2時間くらい前の連ツイの続き。名前をつけるとしたら「脳内訛り」だ。名前を付けると途端に岡田斗司夫臭がしてきて嫌なんだけど、思いついちゃったから書くw
- 訛りがキツイ人はほぼ例外なく説明下手
- 脳内訛りのめんどいところは、分野によって訛ったり訛らなかったりするところ。野球についてはすらすら(わかりやすい言葉)に変換できても、お笑いについては全く変換できないとか平気でおこりうる。
- 変換の経験値であったり、己の訛りに自覚的であったりすることで変換の効率が変わってくるし、そもそも外に出す経験が多ければ、脳内の思考言語も標準語になっていくのかもしれない。
- 訛りを無くす、もしくは変換の効率を良くするためには先のツイートの通り、訛りを自覚し、変換を重ねる必要がある。添削してくれる人がいるといいんだけど、ブログでも人の目に触れることを意識すれば変換の訓練にはなると思う。
ツイートは投稿のハードルが低い分、ブログに比べて訛りがちだから人によってはだいぶ読みにくくなってるだろうなぁ。