ウラガミ

いわゆるチラ裏

わかる&気づく=見る

ことば遊びみたいなもんですが。

わかる=I see
気づく=Discover(覆いを無くす)=発見
どちらも「見る」ということですよね。

「百聞は一見にしかず」なんて言葉もありますが、見る=理解という認識はどこの国でもあることなのかもしれません。


あまり関係ないのかもしれませんが、自分はこの認識の根底にはイデア論があるように思います。

特に、

これは、学習というのは実は《想起》である、という説明である。つまり我々のプシュケー(魂)というのは不滅であって輪廻転生を繰り返しており[2]、もともとは霊界にいてそこでイデアを見ていたのであって、こちらの世界へと来る時にそれを忘れてしまったが、こちらの世界で肉体を使い不完全な像を見ることによりイデアを思い出しているのだ、それが学習ということだ、という考え方である。
via:イデア論 - Wikipedia

ってところ。
「見ることが理解することにつながる」という発想は突き詰めていくとここにたどり着くようなきがするんですよねー


書いてて気付いたんですが、逆に「見る=理解」から発展させたものが「イデア論」なのかも。
単純に視覚は他の器官より多くの情報を得やすい、ってだけのことかもしれませんw

しょうもない結論でした。